米飴の歴史 ~日本最古の甘味料~

①飴の起源・・・日本最古の甘味料は米飴といわれている 日本における飴の起源は奈良時代初期の「日本書紀」にまで遡ります。
神武天皇が大和の国を平定した際に、大和高尾の地で「水無飴」を作ったという記載があり、当時の製法は明らかになっておりませんが、米を原料とする水飴状の飴と推測されているため、今の米飴のルーツと考えられております。
日本にショ糖(砂糖)が中国から伝わったのは奈良時代中期で本格的に輸入が始まるのが室町時代と言われていますので、米飴の歴史がいかに古いものかが分かります。
平安時代の文献にも飴は登場しますが、当時は大変貴重なもので、朝廷や大きな寺社でしか用いられず貴族や支配者層の甘味料として珍重されていました。そのため一般庶民は口にすることは出来ませんでした。

②飴文化の広がり・・・貴族から庶民への普及 飴が庶民の手が届くようになるのは江戸時代の初期からになります。この頃から堅飴といわれる流動性の無い飴が販売されるようになり、これに対して流動性のあるものは湿飴と呼ばれるようになりました。

明治時代以前の飴の製造には米が使用され、粟、黍(きび)などの穀類や芋類も使用されることはありましたが、澱粉(コーンスターチなど)は使用されていません。また飴の糖化は麦芽を使用した麦芽糖化という手法で行われておりました。
この頃の飴は、いわゆるアメ色をしており、香りがあり、その香りは原料によって異なっていました。



③水飴の工業化・・・澱粉水飴(一般的な水飴)の普及 明治時代の終わりになると、酸糖化による水飴製造技術がアメリカから伝わり、大正時代には酸糖化水飴の国内での工業化に成功しました。さらに、水飴の糖化を進めたブドウ糖水飴も国産化されました。
昭和に入るとさらに飴の製造技術の工業化が進みます。戦中・戦後の食糧難を機に、より安価に、大量に、安定的に甘味資源を確保するため、様々な変化がありました。


・主原料は米などの穀物から澱粉(精製澱粉)に変化
  

・糖化方法の主流は「麦芽糖化」から「酸糖化」を経て「酵素糖化」に変化
  

・精製技術の進歩により、無色・透明・無臭の水飴、さらにはぶどう糖、マルトース、ソルビトール、異性化糖など多種類に分化し製造可能となった。

そしてその結果、「澱粉」を「酵素糖化」した無色・透明・無臭で不純物を含まない工業用水飴が製造され普及していきました。現在の一般的に「水飴」と呼ばれる形になったのです。

④食の多様化・・・これからの米飴 昨今では、日本の食生活の向上から、従来の生産性・経済性重視の食品から品質・付加価値を重視する食品に消費者の目が向けられるようになりました。
あわせて安全・安心な食への関心が高まってきており、自然の特性を活かした食品が見直されるようになりました。また食文化が多様化しており、ビーガンやマクロビオテックなどの考え方も広く知れ渡るようになってきています。より一層「本物志向」「健康志向」が進む時代になってきたのです。

弊社の『こづち印米飴』は伝統の製法で作る本格的な甘味料であるとともに自然由来の栄養素を多く含んだ健康食材です。
日成産業は米飴を通じ、日本古来の自然な甘味をより多くのお客様に伝え、お届けすることで多様な食生活・食文化に貢献して参りたいと考えております。

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